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処方箋31 ドクターKは執着を手放せるか? [医療]

処方箋31; ドクターKは執着を手放せるか?

 

先日、いつもお世話になっている文さんのん飲み会に参加させていいただきました。

 

場所は新宿2丁目のゲイバーです。

 

ゲイバー初体験でしたがとても楽しい時間でした

 

そこでも多くの方と出会いました。

 

お一人、33歳の企業をしたいけどなかなか今の生き方と夢がマッチしないと悩んでいるイケメンと出会いました。

 

話をきくと、お金を稼ぎいたいのだけど自分はそうでなく心のそこから人を幸せにしたいとのこと。

 

ドクターKが医療法人をはじめたのが同じ33歳の時。

 

同じ目をしているイケメンにドクターKは、参加することを悩んでいた作家の本田健さんのセミナーにお誘いしました。

 

ドクターkも本田健さんとの出合いで、違った人生を送っているからです。

 

そのセミナーの前にイケメンくんとセミナー参加の目的を共有してみました。

 

以下がドクターKの思いです。

 

 

 

2022117日月曜日 本田健さん作家デビュー20周年記念講演会に先立ち33歳の起業家を目指す方と共有したこと。

 

ユダヤ人大富豪の教えてでてくるメンターは、宝石を売ることが自分のビジネスだということでした。

 

僕は、これを参考に美容皮膚科として中年期以降40代なかばから50歳以上の以上の女性に美容皮膚科としてレーザー治療を提供していました。

 

でも、月日が経つにつれて情熱が消えていったのです。

 

それは、なぜでしょうか?

 

それは、自分が経済的に豊かになりたいという『執着』が強く働いていたからだと思います。

 

それから、心の底からやりたいことはなんだろうと考えるようになりました。

 

そして、ある桜の季節の午後に高尾山の麓の浅川という川沿いで閃いたのです。

 

自分を一度すべて捨て去って、こころのままに生きてみよう。ということを考えた時思い立ったのが、かかわるひとをハッピーにしようという考えです。

 

損得の計算がないと人生が楽になります。

 

昔、予備校を経営した父がよく僕にいっていました。

「プラスかマイナスかわからない状態」だよ、、、、

 

損得。プラスマイナス。

 

知らず知らず私はこの二つを考えながら計算しながら生きてきたのかもしれません。

 

この2つがなくなったらどうなったか?

 

それはそれは、楽しい人生が待っていました。

 

毎日が喜びで満ち溢れているのです。

 

そうこうして、約1年の月日が流れました。

 

いま、11月7日の弟の命日に行われる本田健さんのセミナーに再び参加することを決断しました。

 

それは、損得やプラスマイナスがない状態でも、生活していても心が満たされないことがあったのです。

 

それは、「俺はこのまま年老いていくのか?」という思いです。

 

整形外科医になって、診療所を経営して、医学博士を取得して、診療所を売却して、毎日フルに働いて〇〇万円くらいの年収をいただいている。

 

どれも、昔の自分の夢を達成したのですが心は「このまま終わっていいのか?」という思いです。

 

プラスマイナス、損得がなくなり、全ての執着を手放したつもりでいたのに、湧き出る感情。

 

これはなんでしょう。

 

生きている限りこのような感情は湧き出ていくのでしょうか?

 

自分の可能性に蓋をするのは良くないですね。

 

この前、35歳くらいになる非常勤の往診ドライバーの青年と南大沢の星のコーヒー店でミーティングしました。

 

テーマは「人生やりたいことリスト」

 

でも、二人で話していくうちにいつの間にか、僕は「人生やりのこしたリスト」になってきました。

 

僕のやり残したリストを紹介します。

 

やり残したリストなので、あまり多くてもいけないと思い5つに絞りました。

 

1:年収いまの4

 

2:都内の駅から徒歩1分の場所に不動産を5件持つ(いまは2件、あと3件)

 

3:ベストセラー50万部を達成する(いまは1万部、50倍!ハッピー[×]?引き金[×]?健康)

 

4:シックスパッドの無限健康を手に入れる!

 

5:妻 〇〇ちゃん 娘 〇〇ちゃんを幸せにします

 

この5つのやり残したことを僕は達成できるでしょうか?

 

その達成に「執着」を手放せるでしょうか?

 

 

執着を手放したその先には何がみえるのでしょうか?

 

それは、「どうでもいいや!」という感覚かもしれません。

 

以前にサッカー日本代表の外国人監督の「私の履歴書」を読んだことがあります。

 

その、外国人監督は「神に祈ったか?」と選手たちに問いかけたそうです。

 

意味は、全てを尽くして何もすることがないくらいの準備をして、そのあとのことは神のみぞしる。神に祈ろうということだったそうです。

 

執着を手放しても、やり残したことがあるような虚脱感に襲われて気づいたのは、「神に祈ったか?」と自分に問いかけるくらいの努力が必要だということです。

 

努力が報われるか否かは神のみぞ知る。

 

であれば、人生やり残したリストはなるべく少ないほうがいい。

 

5つくらい達成してみようじゃありませんか!

 

その願望の達成をまなびに健さんのところにいこうと思っています。

 

というわけで、執着を外した先は「どうでもいい!!」と思えるくらいはちゃめちゃに人生を楽しみましょう!

 

また、セミナーのご報告はしますね。

 

ドクターK

 

 

 

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